小林よしのりさんの『天皇論』は
自分にとって皇室への色んな意味での
「こわばり」を解いてくれた一冊でしたが、
とりわけ
我が家の百歳になる祖母と、
八十代にならんとする父母との間の、
天皇陛下に対する
感覚の「温度差」の理由が
初めて氷解しました。
前者にとっては敬愛しつつどこか親しみを持った存在であり、
後者にとっては戦中イデオロギーの象徴のような存在でした。
前者は『天皇論』に引用された、
「ヨキ人」昭和天皇の「ファンなのである」
と言ってはばからなかった徳川夢声のあり方と
符合し、
後者は田原、筑紫、大江、野坂といった
天皇を神だと教えた教育現場の大人たちが
戦後豹変したのを正体見たりと相対化した
「少国民の世代」に符合します。
僕は自分の祖母の天皇陛下に対する親しみの
感情を快く思っていましたが、
その一方で、それは現実を知らないがゆえの
牧歌的なものだという風に自己納得させて
しまっていたような気がします。
しかし実は、戦後の「進んだ」見方というものが
むしろ「少国民世代」という限定された
人々ゆえにもたらされた価値観であった
ということに驚かされ、
古層にあるものと新しく出会い直せたように
胸躍りました。
いま教育現場で「君が代」に対し
アレルギーを起こしているのは、
すでに社会の現役でない「少国民世代」の
置き土産……といった側面も
あるのでは、と思います。
しかし、少国民世代より
さらに上の世代……ともなると、
すでに家庭の中ですら
生きた会話ができる対象では
なくなっています。
うちの祖母が百歳で元気だというのは
世間で当り前のことでないとしたら、
ごく一般の家庭では、
「天皇制」アレルギーに染まらない
「実感」を知ることができるのは、
もはや『天皇論』のような書物
にしかないのでしょうか。
家庭の中で、あるいは職場や身近な環境で、
皇室のことを
こわばりなく話せるには
どうしたらいいのか、
日曜の道場では
僕なりに考えるヒントが掴めれば・・・・・
と思っています。